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  • 日本アサーション協会

アサーションを実践する 杉山郁子

 街の様子が、紅葉からクリスマスに変わってきましたね。街の人出も多くなり、サッカーワールドカップでも、賑わってる毎日になりました。  皆様は今年も残り少なくなりましたが、どのような日々を過ごしていらっしゃいますか? 私はこの数日、担当のブログで何を書こうかと悩む毎日を過ごしています。  さて、1年ぶりのブログです。今回はアサーションを実践することについて考えてみようかと思います。  ブログで何度か書かせていただいていますが、私は日常的な仕事の中で、20歳前後の若者たちに接しています。彼、彼女らから、刺激を受けたりエネルギーをもらったりして、ありがたい毎日を送っているのです。  彼、彼女らは、個人的に接するとしっかりしていて多くの思いや意見をもっていて、驚かされることが少なくありません。ただ、集団になると少し様子が変わります。あまり自分を表現せず、どこか目立たないようにしているように見えます。周囲のことをとても気にしていて、自分の思いは押さえても、周りに合わせて動こうとしているようです。これは、今までの経験の中で培った、とても安全な有り様なのだと思います。その集団で穏便に生きていくには、無くてはならないものだと、端から見ている私でも感じてしまいます。 そして私の心の声は、「本当にそれでいいの?」と呟いています。  日本アサーション協会は、協働しながら自分らしく生きるためのアサーションをモットーにしています。彼、彼女らには、協働は相手に合わせていくことであり、そのことから考えると、自分らしくいることは少し前によく言われた自己中(自己中心的)になってしまうのだと思います。要するに両立できないのです。  力のある一人ひとりが活かされない、本当に残念なことだと思いますし、何よりも本人たちが生きにくそうで大変だなぁと私などは思ってしまいます。  そういうことを思っている私は、講義ではアサーションを取り入れて、私なりに頑張って自分も相手も大切にする表現を伝えています。3つの表現の違いだけでなく、ものの見方や人権などにも触れて話してもいきます。授業後のジャーナルでは、学生さんから「アサーションをよく理解できました」「もう少し自分を大事にしてもいいかと思いました」などと言ってもらっています。ただ同時に、「実践するのは難しい」という声も多く聞かれます。  頭で分かることと実践できること、この隔たりをどう乗り越えていくかが課題です。 確かに、もし全ての人がアサーティブであったなら、争いやハラスメントなどは無くなるかもしれません。そういう社会がつくられるといいと私も思います。  私が学生の時に、社会変革は一人のカリスマが起こすものではなく、一人ひとりの意識変化と実践から起こると学びました。まず、自分の周りにアサーティブに関わることから、アサーティブな社会は築かれていくのです。 アサーションを学んだ後の授業で、学生の中には「アサーティブにやってみた」と言ってくれる人がいます。こういった芽を育てていくことが大切なのだと思います。  私にとって、アサーティブな関わりが生み出せる若者を、一人でも多く育てることが、残り少ない講師人生の支えの一つになっているのです。


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