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静かに惹かれる「ナラティヴ・セラピー」

2023/12/3今岡まゆみ

静かに「ナラティヴ・セラピー」に惹かれています。

興味をもったきっかけは、平木先生がご自身の今を語られた際に、バックグラウンドとして紹介をされていたからでした。家族療法の流れをくむものであり、マイケル・ホワイトというオーストラリアのセラピストとニュージーランドのデイヴィッド・エプストンという方が開発されたカウンセリングとして、ここ数年いろんな領域の方が学び始めていらっしゃいます。臨床の現場にいらっしゃる方、医療、教育、福祉、産業、司法など、様々です。これほど多くの人を引きつける「ナラティヴ・セラピー」ですが、実は随分前に日本で学ぶ機会があったという話を、ある看護師の方から聞いたことがあります。その時には今のように幅広い領域の方には届いていなかったようです。今、どうして「ナラティヴ・セラピー」というカウンセリングに惹かれる人が多いのか、自分の体験から少し言葉にしてみたいと思います。


「ナラティヴ・セラピー」の前に、「アサーション」を学びたいと思ったのは、ハラスメントへの苦々しい体験と思いからであり、期待をもってのことでした。家族に対する自分の傲慢なかかわり方を後悔した経験をもち、仕事ではハラスメントにかかわる困難を労働者と使用者双方から事情を聴くと、八方ふさがりに見える関係に立ち往生する日々。もつれた関係を和らげ、ほつれた糸をほぐすのは、簡単ではありませんでした。そのような体験が積み重なると、どれだけもがいてもだめなんじゃないか・・・と、明るい未来は遠く、諦め感も出始めます。そこには自分も含めてハラスメントという苦しみにからめとられている(受ける側、そして意識的にもしくは無意識的に行為をしている側)個人がいて、身動きがとれなくなっている姿がありました。第三者(コンサルタントやコーチ、弁護士などの専門家とよばれる方々)の力を借りて、問題解決をしてくれるのではないかと期待をし、一瞬は変化しそうな兆しがあっても、遠くない時期にもとにもどってしまう。絶望にも似た思いが離職者を生み、よくなる気配を感じられないままでいる。そんな状態に抵抗をしたい自分ができることはないかと探した先に「アサーション」がありました。


「アサーション」はコミュニケーションという掴みどころのない表現方法の中で、分かりやすさがありました。心理を専門的に学んだことのない私でも学習の扉を開けることができるチャンスがある、コミュニケーションの1つのスタイルである「アサーション」。平木先生の言葉を漏らさず学びたいと学習の場に出かけると、先生から「ナラティヴ・セラピー」という言葉が繰り返し語られました。それが7年ほど前のことです。先生が影響を受けていると語られる「ナラティヴ・セラピー」とは何なのか、知りたい気持ちが距離を縮めました。


 社会構成主義の考え方を土台として展開されてきた「ナラティヴ・セラピー」の特徴を説明するときに、「人が問題なのではない、問題が問題なのだ」というフレーズをきくことがあります。例えば、ハラスメント行為の加害者とされている人が問題ではなく、何がその人にハラスメント行為をさせているのか、その人を困らせている問題が問題とし、人と問題を切り離して会話を進めます。人を責めない会話は、レスキューの可能性が拡がります。

 自分も相手も大切にする自己表現(コミュニケーション)といわれる「アサーション」と、人への敬意をもち会話を進める「ナラティヴ・セラピー」の姿勢に共通するものを感じ、どちらにも惹かれる時間は長く続きそうです。

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