検索
  • 日本アサーション 協会

平等とは 杉山郁子

今年もあと一月足らずになりました。

“先生も走る“師走(先生って日頃は走らないのでしょうか?)になりました。特に何が変わるわけでもなくても、何となく気忙しい気がしますね。日没が最も早い時期なので、余計に急かされる感じがするのかもしれません。


私はこの時期に、来年度の授業予定を決定していきます。

今年が終わりになるというのと同時に、来年度が始まっていくという感じです。日程が決まると、来年度のシラバスの提出を依頼されます。同時に今年度の成績出しが始まるので、今のことをやりながら、先のことを考えるという落ち着かない感じがしばらく続きます。

私にとっては師走だからだけではなく、心がざわつく時期なのです。


さて話は変わりますが、今書いたように、私は大学や専門学校で授業を担当しております。

授業の多くで、アサーションを取り入れ、講義をさせていただいています。学生さんには講義を聞いた後で、アサーションで大切なことは何か、自分自身がアサーティブでいるために日常で何を意識していきたいかなどを、グループで話し合い考えていただく機会を設けたりしています。

その中でよく出てくる言葉として「平等」というのがあります。「私も相手も大切にする」とか「一人ひとりを尊重する」などというところから、どうも考え出されているようです。


私は最近この言葉を聞くと、「平等ってどうすることなんだろうね?」と問いかけることがあります。返ってくる言葉は「全員が同じだけ話せるようにする」とか「話していない人がいないようにすること」とかが多いです。「なるほどね」と応えつつ、意地悪な私は「凄く話したいことがある人と、特に話したいことがない人がいても、同じぐらい話せたら平等なんだろうか?」と投げかけることがあります。

発言の分量で考えれば学生さんの言う通りです。ただ、それぞれが自分の思いを伝えられたという納得感ではどうでしょうか?発言の分量が同じであれば、平等であり誰もが自分のことを大切にされていると感じるのでしょうか?


私は「平等とはこういうものです。」という答えをもっていません。辞書的には「偏りや差別なく、みな等しいこと」だそうです。一人ひとりが違っていて当たり前(いやむしろ、そのことを尊重したい)の考え方が大切な人との関係において、「みな等しいこと」はとても難しいと思います。「人として尊重し合うこと」が平等なのかもと考えてみたりもします。「平等」は気持ちの問題なのでしょうか?

悩ましい‼


私の「平等」に関する悩みは、まだまだ続きそうです。この答えは、アサーションを学生さんにお伝えする私に、きっと色々な示唆を与えてくれると思っています。

どなたか私をスッキリさせてくれる方がいらしたら、是非ご意見をお聞かせください


閲覧数:119回0件のコメント

最新記事

すべて表示

これは私のひとり言である。独りよがりで言葉の遊びにもなりかねないつぶやきである。それがこのブログを読んでくださる方にどんな意味をもたらすかは想像もつかない。だが、私には書きたいと思わせるものがあったので書いてみようと思ったのである。 ブログのテーマを何にしようかと考えあぐねていたある日たまたまラジオで「寄り添うことと向き合うこと」という言葉に接した。聞けば「寄り添う」という言葉が軽んじられた使われ