アサーションという考え方・技術にふれて、バイブルのように手元に置いていた平木典子先生の「アサーシ ョン・トレーニング~さわやかな<自己表現>のために」が 11 年ぶりの改訂となり、三訂版が発行されまし た。累計 15 万部というアサーションの基礎テキストを読了し、今回も足元とその先を照らしてくれるようで、 静かに、そして心地よく気持ちが揺れました。
コロナ禍という世界的不安に生きる時代に改訂された三訂版の序章の言葉は、柔軟で力強く感じま す。 「今、私たちに必要なことは、ますます機械化され、単純化されていく時代のコミュニケーションに、豊か な人間の関わりをもたらすコミュニケーションを取りもどすことだと思われます」(序章から引用) そして、「いつの時代にも、どこでも通用するアサーションであるが、その意味は時代、場面によって異なっ てくる」と続きます。 https://www.kanekoshobo.co.jp /book /b582267.html
心に響き、思いだした経験がありました。 第 2 章「ものの見方・考え方とアサーション」のところで・・・ 人の言語・非言語を合わせたコミュニケーションに影響を与えるものの見方・考え方は、その人が生まれ、 育った国、言語、地域、環境、家族、友人、性別等、いくつもの要素が関係し、育まれ、知らず知らずの うちに身についていく(身につけていく)ものなのだと知りました。 わたし自身も家族を含めた周りの人々、住んでいる場所、一般常識や当たりまえと言われるルールのよ うなものから、自分が必要だと思うもの、生きやすいと思うものを選択しながら生きてきました(と思っていま した)。時には自分に合っているかどうかもわからないまま、与えられる周囲のアドバイスに応えようと進路 や言動を考え、行動化してきたのです(と思っていたのです)。何が正しいか、自分らしいのかもわからな いままに。 この章で、自分自身が選択したと思い込んでいた自分の「ものの見方・考え方」は、実は社会文化的 な影響を大いに受けてきていたのだと理解ができました。良い悪いではなく、そうやって凌いでここまで来たと いうことに気づくことになったのです。
思い出したのは、進学先を親や親せきにあれこれ言われ(志望先を反対され)、就職先も周囲のア ドバイスが過多で(地元に帰る可能性がない会社だと反対され)、「兄弟姉妹がいないこと」を実行して はいけない行動の理由にされ、自分で決めたと思えないことばかり。期待に応じようとするものの、失敗 (と思われること)をすると、自己責任という世論がのしかかり、窮屈さにジタバタしたことも心に残っていま す。いつのまにか、「やってはいけない」、「言ってはいけない」、「〇〇なんだからこうするべきだ」という考えを 無意識に仕入れてしまっていました。
平木先生がアサーション・トレーニングを日本に紹介されてから、まもなく 40 年になろうとしています。最 初にこのトレーニングに関心を持った方は、女性、看護職、国際的な仕事をする企業の人々・・・今でいう ところのエッセンシャルワーカーの方も多かったようです。相手をたて、一歩下がったところにいたその方々は、 「自他尊重」が成り立つコミュニケーションとはどんなことかを学び始めました。それから 40 年近い時間が経 ち、アサーションはコミュニケーションに不安を持つ人にどれだけ勇気を与えたことかと想像します。
時代の課題があります。 「いつの時代にも、どこでも通用するアサーションであるが、その意味は時代、場面によって異なってくる」 今こそ、活きる考え方であり、技術だと確信を持ちます。これからも実践のためのトレーニングを続けてい きたいと思います。
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